菊池源吾(西郷隆盛)物語

西郷隆盛の変名。安政の大獄で西郷隆盛は、勤皇僧である月照と共に、鹿児島の錦江湾に身を投じたが蘇生した。


鹿児島の島津藩27代斉興の裁量により、幕府に対しては死亡したとの報告を行い、「菊池源吾」と変名して、奄美大島の龍郷町に潜住を命じられた。


1859(安政6)年1月11日に鹿児島山川港を出帆し、12日に龍郷町の阿丹崎に到着した。

大島の名門郷土格龍家の離れ家に居住しながら、同年11月8日、龍佐民夫妻の媒酌により龍家二男家の子孫「愛加那」と結婚した。この時菊池源吾32歳、愛加那22歳であった。

1861(文久元)年1月に長男菊次郎、翌年には長女菊草(のちの菊子)が誕生した。


龍郷町時代の3年余り「菊池源吾」と名のり、子供達に“菊”の字を付けたことは、自分が「菊池一族」の後裔であることを意識してのことであったといわれる。


1862年(文久2)年1月14日に召喚状を受け、龍郷町から鹿児島へ帰る。


なお、菊次郎は1904(明治37)年10月から1911(明治44)年5月まで京都市長を2期務めた。また菊草は大山巌元帥の弟 精之助に嫁いだ。


西郷家は菊池氏初代則隆の子である政隆が、七城町西郷地区に居を構え、西郷太郎と称したことから始まる。


西郷家26代の昌隆(九兵衛)が、元禄時代に鹿児島の島津氏に仕え、鹿児島に居住。


この子孫が西郷隆盛となり、初代西郷家から32代目にあたる。

菊池氏系図・西郷家略系
菊池氏系図・西郷家略系
菊池源吾(西郷隆盛)
菊池源吾(西郷隆盛)
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2009/12/19 8:48 [ 30589hit ] 
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